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『自由になるって、何なんだろう』(大阪スタタリングプロジェクト『新生』2018年1月号寄稿文)

自由になるって、何なんだろう

山田舜也(26歳、東京大学大学院)

 吃音者の自助グループである埼玉言友会に初めて参加したのは、2014年の12月のことでした。竹内敏晴、メルロ=ポンティ、ウィトゲンシュタイン、落語、演劇・・・。例会で語られる内容の一つ一つが、僕にとっての「吃音の感性」とピッタリあい、それまで一人で吃音と向き合ってきた僕は、「ここには仲間がいる!」と、とても感動したのを覚えています。

 程なくして、僕は、「吃音の研究をしよう」と決意しました。福島・熊谷研を訪ねて、自助グループ『東大スタタリング』を立ち上げ、当事者研究をはじめました。全国大会を運営し、平田オリザさんと出会い、劇団も作りました。博士課程に進学してからは、留学も経験させてもらい、今、僕は、本当に掛け値なく、とても贅沢な時間を、過ごさせてもらっていると思います。

 どうして吃音の道に進むことを選んだのか。「吃音には、どんな意味があるのか。医学的な言葉ではなくて、当事者として、僕は自分が納得いく言葉を作りたいんです。」福島先生には、面接でそんな風に答えました。それはそれで嘘ではなかったのですが、でも、本当の理由は、それだけではなかったように思います。

 新・吃音ショートコースで、僕は、それまで遮断していた、自分の色々な過去に、否応なしに立ちかえさせらされました。特に、当事者研究会で伊藤さんが語った「好きなことをやったらどうだい」という言葉が、「今、好きなことをやっている」僕にはとても重たく感じられてしまいました。

 本当に恥ずかしくて、福島先生や熊谷先生には本当に申し訳ないことですが、僕が吃音の道に足を踏み入れた理由の中には、前にいた研究室でうまくいかなかったことや、就職活動に対する不安も、大きかったように思います。「コミュニケーション能力なんて言っている奴は、馬鹿だぜ」と、AERAの記事を差し出してくれた伊藤さんには、僕が抱えていたそんな過去も、お見通しだったのかもしれません。

 不安で、孤独で、うまくいかなくて、どうしていいかわからなくて、「本当に好きなことをやりたい」と思ったときに、僕がたどり着いたのは「吃音」でした。それは、でも、僕が、「吃音に逃げてきた」ということでもありました。2014年に初めて吃音者の自助グループに参加してから2017年のショートコースに参加するまで、僕は、そのことに、向き合えてこれなかった気がします。

 吃音の活動をしている中で、僕は、ずっと、伊藤さんのことが気になっていました。僕は、「吃音を治したい」と思って、吃音の活動を始めたわけではなく、「自由になりたい」と思って、福島・熊谷研の門を叩きましたが、50年前、東京正生学院の門を叩いた時の伊藤さんも、「自由になりたい」と思っていたのでしょうか。

 当事者研究をやっていながら、恥ずかしながら、僕は、自分史を語ることが、まだできていません。向き合えない過去・遮断している過去がたくさんあります。12ステップで言えば、僕はまだ、ステップ4を、ちゃんとふめていないままでいます。

 今の僕は、大阪吃音教室の皆さんのようには、強くなれないです。明日も、きっと、弱いままだと思います。2日間、本当に暖かで、強くて、優しくて、明るい人たちに触れて、いろんな言葉に心を動かされたのに、僕は、ショートコースで、自分の経験を多くは語ることができませんでした。

 「僕は、まだ、変われないんです。」

 帰り際、僕の口から出たそんなトンチンカンな言葉にも、伊藤さんは、優しく、答えてくれました。

 「ちょっとでええんや。急に変われるのは、嘘やから。」

 ああ、伊藤さんには、僕の考えていることなんて、もう全部、見透かされているんだな。

 お誘い頂いたのに、昨年の忘年会には参加できませんでした。また、必ず、来阪します。たくさんお話をさせてください。本当にありがとうございました

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