2026年5月22日東京言友会三田例会『吃音を持つ著名人の体験談を読んで話し合おう』活動報告文
- 6月8日
- 読了時間: 42分
いんこです。
先月に続き、5月22日、東京言友会三田例会の担当をさせていただきました。
今回の例会は、『著名人の体験を読んで話し合う』というテーマで開催しました。過去に言友会と交流があった吃音を持つ著名人たちのナラティブを読んで、「共感したところ/共感できなかったところ」について、それぞれ話し合う、例会でした。
前回に続き、深い話し合いができましたので、当活動ブログで詳細を報告させていただきます。記事化を承認してくださった参加者の皆様、また、東京言友会運営委員会の皆さま、そして『全言連ニュース』からの引用をご許可くださいました全言連の斉藤理事長に感謝申し上げます。
1. 当日の進行
当日は、受付のHさんといんこを含め、9人の方(いんこ、受付のHさん、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、佐藤隆治さん)が参加してくださいました。
当日の進行は、下記のように行いました。
まず、自己紹介、記録についての説明をした後、①吃音を持つ著名人で知っている人を出し合いました。その後、②いんこがまとめてきた著名人たちのナラティブを紹介し、それぞれのナラティブについて話し合いました。その後、③全体の感想共有をした上で、ふたたび、活動報告記事をつくることについて参加者全員の確認を取りました。
以下、当日の話し合いの内容について、いんこが記録・記憶していた内容をもとに、記事を作成します。
なお、記事作成にあたっては、「発言者が誰かを特定できないように、個人情報に配慮した上で記事化する」ということで、参加者の皆様から了解を得ました。ただし、佐藤隆治さんについては、「実名で記事を書いてほしい」というご本人の希望を尊重して、実名で書かせていただきます。
2.話し合われた内容
①吃音を持つ著名人で知っている人を出し合う
「吃音を持つ著名人で知っている人」として、次の人たちが、当日、挙げられました。
・ケンドリック・ラマー、エド・シーラン、ジョー・バイデン、マリリン・モンロー、ジョージ6世、モーゼ、ジョン・ラーキン、大江健三郎、小島信夫、井上ひさし、重松清、田中角栄、武満徹
(当日の話し合われた内容の一部)
・将棋をやっている人で誰かいたような気がするけど、誰かは忘れてしまった(Aさん)
・アメリカにいたときに、エド・シーランさんの話を聞きに行ったことがある。マリリン・モンローさんは、自伝に書いてある。女優のベールをかぶると喋れる、演じるときには消える、とたしか書かれていた(Cさん)
・ウィキペディアから今日の例会のためにリストを持ってきました(Eさん)
・井上ひさしさんは、言友会の講演(宮城県仙台での全国大会)に来た時、だいぶ遅刻をしてきた(Fさん)
・スキャットマン・ジョンは、来日した時、新宿のライブに言友会の仲間と一緒に行った。個人的に、最も好きなのは武満徹さん。『吃音宣言』「ベートーベンの交響曲第5番『運命』はどもっている」が秀逸。(佐藤隆治さん)
著名人の中には、吃音を公言している方もいますが、当事者性の見出し方という点で、あまりはっきりとした態度をとられていない方もいます。
たとえば、今日あげられた大江健三郎さんについては、過去に全言連が出した手紙に対して「せっかくですが私は吃音について語る言葉は何一つ持っていません」と回答し、吃音を持っていることは認めていますが、特に当事者として積極的に吃音について発言することはありませんでした。
また、武満徹さんは、エッセイの中では、「私は吃音だった」と書かれていますが、過去に全言連(当時大阪教育大学研究室 伊藤伸二さん宛て)に送られた手紙の中では「私自身は吃音を持っていない」と答えてもいます。もしかしたら、『吃音宣言』に描かれていたような比ゆ的な意味で「吃音」という言葉を使っていたのかもしれません。
また、モーゼは、現代でも「吃音を持っていた古今東西の有名人」として広く紹介されていますが、旧約聖書には、はっきりと、吃音であったと書かれているわけではありません。「言が重かった」という記述が、聖書研究者の間で吃音を持っていたというふうに解釈され、そうした解釈が広まっているようです。
いんこは、挙げられた人の中で、ケンドリック・ラマーさんのことを、はじめて知りました。ラッパーの人で、幼少期に吃音があったことを公言されて活動されている方のようです。例会を準備する中で、かなり様々な吃音を持っていたと言われている著名人について調べてみたのですが、それでも知らない人がいるものなのだなぁと思いました。
②体験談についての話し合い
用意した体験談は、田辺一鶴さん、小倉智昭さん、井上ひさしさん、村田喜代子さん、重松清さん、ジョン・ラーキンさん、羽仁進さん、篠田正浩さん、高橋庄治さん、姜尚中さんの10人でした。紹介した体験談は、いずれも、過去に言友会が発行していた刊行物(『ことばのりずむ』、『吃音者宣言』、『全言連ニュース』)から引用し、使わせていただきました。
ただし、時間の都合上、当日、紹介できたのは、田辺一鶴さん、小倉智昭さん、井上ひさしさん、村田喜代子さん、重松清さん、ジョン・ラーキンさんの6人となりました。
三田例会は、当日になるまで、参加人数が分かりません。前回の4月の三田例会のときは9名の方が参加をしてくださいましたが、「人数が少ない時にも対応できるように」と、今回の例会では体験談を多めに用意しました。結果として、「時間が余る」ことにはならなかったのですが、逆に用意した全員の体験談を紹介することができず、また、最後の方は、少し駆け足になってしまったところもあったかもしれません。
参加者の方からは「もう1時間、時間が欲しかった」「もう少し時間があったら、もっと深い話し合いもできたかも」という意見も出されました。むずかしいですが、今後は三田例会の時間配分について、もっと戦略的に考えたいな、と思いました。
●田辺一鶴さん(1929-2009)のナラティブについての話し合い
田辺一鶴さんは、講談師として活躍された方です。言友会の「生みの親」の一人でもあります。
言友会とのかかわりとしては、東京言友会3周年記念祭(1969年)、第10回全国大会(1976年)、第15回全国大会(1981年)でゲスト講演を行うなどしている他、『ことばのりずむ 第6号』(1973年)に、インタビュー『田辺一鶴半生記』を、『吃音者宣言』(1976年)に、文章『講談に賭けた人生』を寄稿しています。
例会では、『吃音者宣言』に掲載されていた『講談に賭けた人生』の一部を紹介しました。
もともとは、吃音を治すために講談を始めたが、次第に講談そのものに魅了をされていったこと。講談の修羅場読みを覚える中で、リズムをつかむことによって話しやすさを獲得したこと。一方で、吃音はなおらず、お客さんからも師匠からも「寄席に出すな」「頼むからやめてくれ」と言われても、講談を続けたこと。また、せっかくつかんだ仕事の機会も、吃音のために干されてしまったこと、などの体験が語られていました。
私は自分の体験から、吃音者にどもってでもやりたいと思うことは、どんどん実行したらいいと言いたいのです。どもって恥をかくのがいやさに行動できない人がいますが、本当はどもるのが恥ではなくて、行動できないことの方が恥ずかしいことなのです。勇気がいることかもしれませんが、頑張らなければなりません。何の苦労も障害もなく、順調にことが進む人は勇気をそれほど必要としません。安定した自分の立場を守ることでこと足りるのです。しかし、私達はどもるという、ある意味ではハンディを持っている者は、守ろうにも安定したものがないのです。守るのでなく、攻めていくしかないのです。
(田辺一鶴『講談に賭けた人生』)
上記に引用しましたように、田辺一鶴さんの文章には、「攻めていく(引っ込み思案にならずに、挑戦的に生きていく)」ということの大切さが綴られていました。
(当日の話し合われた内容の一部)
・夢中になれることがあった、というのがいいと思いました(Aさん)
・どもりを出しまくって話す仕事についていたというのが、シンプルにかっこいいなと思いました(Cさん)
・講談師としては売れた人だと聞いて、すごいなと思いました。(Dさん)
・吃音を持つ人で田辺一鶴さんに講談を習っていた人もいたと聞いています。でも、ちょっと強すぎて、そこまでできないよと思ってしまう人が多いのではないか。(Eさん)
・田辺一鶴さんとは、言友会のイベントで一度だけ会ったことがある。ものすごいバイタリティのある人だった。ただ、若い頃は重かったみたいだったけど、そのときはそこまで重くはなく、治まっていたようだった(Fさん)
・60パーセントくらい共感した。最初はどもりを治すというのが最大関心のテーマだったけれど、やっているうちに、講談が面白いな。だから続けていきたいなという考え方に移っていけたのは、真っ当なこころの変容だと思った。久しぶりに体験談を読んで「行動しないことが恥ずかしいことだ」っていうところがスカッとしていいなと思った。まだ心の中ではしんどい人には、こうしたことはパッとは言えないだろうけど。(佐藤隆治さん)
以下は、いんこの感想です。
晩年の映像を見ると、若いころほどは症状は重くはなかったようですが、それでも、聞き手にわかるほど、田辺一鶴さんは、時折、言葉に詰まりながらしゃべっています。張扇を叩くことを随伴運動として行うなどの形で、吃音の症状が出ることを芸の中に組み入れてはいたようですが、田辺一鶴さんの芸の中で、吃音は、決して、聞きやすいものとして位置づけられていたようではなかったように思います。
田辺一鶴さんは、吃音それ自体については、特に肯定的な意味付けをしていません。後で紹介する村田喜代子さんのように、吃音を「美しい」と価値転換的に美化することもありませんし、重松清さんのように「吃音だったからこそ、得られたものがある」などと語ることもありません。吃音については、シンプルに「ハンデである」と語っています。一方で、それだからこそ、「挑戦的に生きること」が大事である、と語っています。
吃音を持つことは公言しながら公的な場面ではどもらずに話す著名人が多い中で、田辺一鶴さんは、かなりどもりながら活躍していた方でした。例会当日は、全体として田辺一鶴さんのナラティブには共感するという意見が多かったですが、いんこ自身も、今回、準備をした著名人の体験談の中で、田辺一鶴さんの体験談や生き方は、一番、「いいな」と思いながら読むことができました。
伊藤伸二さんのブログを読むと、過去の大阪吃音教室の例会では、田辺一鶴さんは、「吃音と闘った人」として分類されて話し合われていたこともあるようですが、お客さんから「寄席に出るな」と言われたり、師匠からも「頼むからやめてくれ」と言われても、自分の好きな講談をどもりながら続けていたという田辺一鶴さんの生き方は、「吃音と関わらず自分の生き方を貫いた」とも言えるような気がします。
●小倉智昭さん(1947-2025)のナラティブについての話し合い
小倉智昭さんは、アナウンサーとして活躍された方です。言友会とのかかわりとしては、1996年の全国大会でゲスト講演を行っています。
例会当日は、『全言連ニュースNo.13』に掲載されている、池田邦彦さん(福岡言友会)がまとめた講演の要約文を使わせていただきました。
「まずショックを与えておきます。吃音はパーフェクトには治らないです。でも、でるところでたらまず吃りません。そのかわり、常に緊張してます。そういう生き方を私はしてきました」そんなことばで講演は始まりました。
秋田から東京の小学校に転校し、吃音をからかわれたのがきっかけで、「絶対喋る職業についてみんなを見返してやる」というのが一貫しての姿勢だったそうです。自らを「負けず嫌い」という小倉さんは、物まねをやったり話すことへの工夫と共に、引っ込み思案にならず何事にも挑戦されたようです。
アナウンサーの試験の面接での志望理由が「どもりですからアナウンサーになりたい」。アナウンサーになってから現在にいたるまでの努力は、それまで以上に半端じゃない大変な努力だったようです。どういう声がよく響くか、話しやすいか、聞きやすいか、声のトーンや調子を変えてみたりする事と共に、吃ったらどうしようかといたずらに心配するのでなく、話すことや内容にいかに集中するか、いかに短時間で原稿の内容を把握するかがポイントだと感じました。(中略)
奥さんと喧嘩されるときや、実家のお母さんと話されるとき、またリラックスされたときは今でも吃られるそうです。小倉さんのまわりにも、吃音をもって活躍されておられる方も多いようでした。「僕はもうどもりは治らなくてもいいんじゃないかと思っている。だってかわいいじゃない」という言葉と共に、「出るとこに出たらしゃべる自信はある。皆さんもそういう努力を」という小倉さんでした。
質疑には、時間をオーバーして答えていただきました。「どもりは私の誇りです。だってどもりというバネがあったから、今の自分を勝ち取ったんですから」「自信をもって臨む。失敗したら後で反省すればよい。」「吃っても、ものおじしないで話してみる。」「誰でも緊張はある。緊張してないと、いい話はできない」「羽仁進は吃音者だからテレビに出ているわけではないんですよ。たまたま映画監督の羽仁さんがどもりだったわけです。私も、どもりだからテレビに出させてもらってるわけではない」・・・
いろんな言葉が心に残った講演でした。
(『全言連ニュースNo.13』より)
(当日の話し合われた内容の一部)
・不登校だったころ、小倉さんとやり取りをしたことがある。テレビで小倉さんが吃音の話をして「絶対どもりじゃないな、この人」と思って、引きこもっていた当時、何かしないとと思っていたこともあって、FAXをしたら、テレビ局の人が小倉さんにつないでくれた。「どもりを出せる人を大事にしなさい」と言われて、その時は「ふざけるな」と思ったし、共感できなかった。自分はずっと「吃音=恥」だと思っていて、隠したいものだと思っていた。当事者会についても、傷のなめ合いで、わざわざ集まって話し合う意味が分からない、行く意味がないと思っていた。学校に行けなかったし、ひどいいじめもあったから、吃音は自分の中でトラウマでもあった。アメリカの当事者会に参加したら、みんな「乗り越えられない試練はない」と本気で思っていて、それで「自分もやらなければいけない」と思うようになって、それで少しずつ変わることができた。今から考えると、仕事ではどもらなくて、妻や母の前でどもっている今の自分は、小倉さんと全く同じになっていると思う(Cさん)
・小倉さんは、穏やかな人だった。吃音の人の助けになりたいと言う使命感があった。講演料も安く引き受けてくれた。Youtubeには小倉さんがどもりながらしゃべっている動画もある。(Eさん)
・小倉さんの講演のときは行けなくて、あとで(金曜例会後の喫茶店で)、言友会仲間から聞いた。「その日の仕事が終わり、奥さんの前で話す時は、堪らないくらいたくさんどもってしまう…」というエピソードを聞いたが、さもあらんと、大いに共感できた。それ以外の内容は、45パーセントくらい共感。45%共感の意味は、小倉さんは、TVで話す際、確かにどもる症状(連発・難発)は出てはいないが、どもりそうになると、不自然な間を取って、どもりが出ないように出ないように、恐る恐る話している…様子が手に取るようにわかります。当事者の私からは。どもらない人には、その不自然な間の意味が気付けないのか…?むしろ、少々つっかえても、どもっても良い。むしろどもっておかしな間を取らずに、ばばばばっつと話す・コメントされる方が、ずっと好感度上がるのに…と、実に寂しく感じる事多々ありました。(佐藤隆治さん)
以下は、いんこの感想です。
小倉さんの「何事にも挑戦」というナラティブは、田辺の「攻めの姿勢」とも共通性があるものです。「バカにした他者を見返す」「努力によって克服する」「どもりというばねがあったから今がある」という小倉さんのナラティブは、吃音を推進力に変換し、「劣等感をバネに努力し、克服する」という「克服の物語」の典型としても読むことができるように思います。
また、小倉さんは、「吃音はパーフェクトには治らない」と、治療幻想を否定しています。また、「治らなくてもいい」「かわいいじゃない」「誇り」として、自身の吃音を肯定的に意味づけて語ってもいます。
しかし、その一方で、「でるところでたら吃りません。そのかわり常に緊張してます」と語っているように、小倉さんは、吃音を管理・統御する生き方をしています。つまり、小倉さんは、「吃音の存在を肯定しながら、その出現を統御しながら生きてきた人」であったと言えます。だから、小倉さんの吃音についての語りは、「どもることそのものを肯定する物語」というよりも、「吃音を克服した自己を肯定する物語」として読めます。「公的領域では弱さを出さない」「弱さを克服し、その制御能力を価値化する」「他者に指導する」「公的場面での緊張を常態化して身体を統制する」という内容は、近代的・男性的なジェンダー規範とも親和的です。
小倉さんは、「吃音が治っていない」ことを発言した当事者でした。また、「吃音を持ちながら、話す職業についた当事者」として当事者団体では紹介されてきた当事者でもありました。その引用は、もしかしたら、「吃音を持っていても、出来ないことは何もない」というナラティブとセットで語られることもあったかもしれません。
一方で、小倉さんは、「吃音を持ちながら活躍したアナウンサー」ではありますが、「どもりながら活躍したアナウンサー」とは言いがたいです。
僕自身も、舞台の上ではあまりどもらない当事者です。だから、症状の重さやその出現性という点では、そこまで批判的なことを言える立場にはありません。また、小倉さんの体験談は、ひとりの当事者の在り方としてリアルだとも思いますし、また、「サバイバル」のあり方としては参考になる内容はたくさん含まれているように思います。しかし、「治らない」ことを公言しつつ、「制御すること」や「治まること」にある種の価値においていた小倉さんの語りが、「吃音は治るものではない」「吃音があっても、『どもってもいい』と思えれば、できないことはほとんどない」という当事者運動的なナラティブをどこまで補強するものであったのかは、やや疑問にも思いました。
●井上ひさしさん(1934-2010)のナラティブについての話し合い
井上ひさしさんは、作家・劇作家・放送作家などとして活躍された方です。言友会とのかかわりとしては、東京言友会創立3周年記念祭(1969年)、全国大会(1999年)でゲスト講演を行っています。
当日、紹介した体験記は、『吃音ワークショップ1999in東北報告集』から引用させていただきました。
自分で段々話す時に、「どうも具合が悪い」というふうに思ったのは、小学校に入ってですね。
そして、それでもそんなに重い症状ではありませんでした。みんなと話をするのをなるべく避けようということで、幸い家に本がたくさんありましたんで、つまり『本を読む少年』という処へ逃げ込んだ訳ですね。(中略)
戦争が終わった時は、小学校の5年生ですけれども、その時から少し治りまして、殆ど他の人にはわからないようなふうになっていったんですが、いきなりひどくなったのは、大学に入った年です。(中略)
ああなんだ三流か四流の大学かというその周りの評価ですね。それから自分も自分をすごく低く評価すると言うことで、急にうまく話せ
なくなったんですね。(中略)
ところが、ここに言葉を完全に手玉にとって『兎を二つに割ると鵜と鷺になっちゃうとか、江戸前っていうのは嘘で本当はあれは反吐前だった』とか、そういうことを書いている作品に(釜石で)ぶつかった時に、何故か私は、言葉っていうものを見下したと言ったら変ですね、恐ろしいものだと思っていた言葉という壁が、つまり人間の力で笑いにもひっくり返せるという、なんと言いましょうか、今から言えばそんなことをなんでしょうが‥‥。(中略)台本を書いたりしているうちに、いつの間にか、普通、全く普通に話せるように・・・、全く普通とは言えませんけど、話せるようになったんですね。ですから、一番大きかったのは『鵜』と『鷺』です。「なんだ、言葉っていうのはそんなにビクビクすることはないんだ・・・。」と、既に江戸時代の人がもう言葉を散々弄んで、あの『江戸前』は嘘で『反吐前』であるとかですね・・・。勝手なこと言って、言葉とよく言えば『戯れていた』と・・・・だから、「それでいいじゃないか!」、「もうなるようになれ!」っていう多少居直りがあったところへ、(中略)そして次第になんか忘れていったというのが私のケースですね。
ですから、全く参考にならないと思います。参考になりませんが、なりませんが、言葉はとても重要ですけれど、重要だからと言ってそれに囚われていくと言う、重要だと思う反面、言葉なんてものは所詮言葉はないかっていう居直り、その両方がなんかどうも大事なような気がしますね。
吃音といっても、一人一人皆違うはずなんですね。だからこれは、病気として扱う人だったら、これ、療法はないと思います。一人一人違いますからねでも、根っこで同じなのは、なんか世界に対する、この世に対する考え方なんじゃないかと思うんですね。つまり、僕はその『鵜』と『鷺』の時に、丁度明け方で、夜通しやってますから、明け方でお日様がスーッと出てくるとき、その太陽を抱き締めたいっていう、もうほとんど流行歌の世界になっちゃうんですね。なんか、幸せと言いますかね。つまりここまで言葉をコケにしている人間がいて、自分は今まで自分の発する言葉にいちいち神経を使って、「あー上手くいかなかった」とか、「あーこれは駄目だ」とか言ってたのが、なんのことはない、もうばかばかしいくらいふざけてる訳ですよ。その時に味わった幸福感というのは、今もはっきり残っているんですね・・・。
(『吃音ワークショップ1999in東北報告集』より)
(当日の話し合われた内容の一部)
・楽しさで吃音の悩みから解放されたのがいいなと思った(Aさん)
・コンプレックス、精神的なストレスがたまると、仕事とか家庭環境がうまくいかないと悪化するという点は、共感した。ただ、「ことばをコケにする」というのは、すばらしいことだとは思うけれども、自分はその境地には達しなくて、共感できないなと思った。(Cさん)
・この人は、DV(家庭内)も行っていた。そのことで、晩年の評価を下げてしまったのは残念。作品や人生全体との関係も考えながら井上さんの語りは読む必要がある(Eさん)
・ちょっと共感できない。だって文章上のことで、吃音とか悩みが良くなるってことは、普通、ないから。(Fさん)
・彼のエッセイはダジャレが秀逸。劇作家だけれど、台本も面白いものだった(佐藤隆治さん)
以下は、いんこの感想です。
伊藤伸二さんのブログ記事を読むと、過去の大阪吃音教室の例会では、井上さんは、「吃音に関わらず、自分のやりたいことを貫いた人」として分類されていたこともあったようです。
しかし、今回、体験談を改めて読み返して思ったのは、井上さんにとっての吃音の体験は、大学を中退するきっかけの一つになっています。また、『鵜』と『鷺』にみられる「言葉への恐怖からの解放」のナラティブは、井上作品の「ユーモア」の原点としても語られています。そう考えると、井上さんにとって「吃音の悩みとそこからの解放」の体験は、「言葉を自由に操る」劇作家・国民作家としての井上さんの原点の一つとして読むことができる気がします。その意味で、井上さんは、どちらかというと、「吃音に影響された人生を送った人」と言えるように思います。
一方で、井上さんの「回復」のあり方は、それまで恐怖の対象であった言葉について、「怖れなくなり、バカにすることができるようになった」という形での「コンプレックスからの解放」として読めます。症状の悪化とコンプレックスが結びつけられて語られてもいますが、井上作品では、吃音は、しばしば「コンプレックスの問題」として扱われます。「どもってもいいと居直れるようになった」とも語られていますが、「次第に忘れるようになった」と語っていることからも、井上さんは、「吃音のある自分自身を受容した」というよりも、「恐れていたものを下に見る」ことによって、いわば「恐怖の対象としていたものを、屈服させる」ことにより、自信を得て、コンプレックスから解放された、と読めます。
僕は井上ひさしさんが主導していた劇作家協会の戯曲セミナーに通っていましたが、劇作家というのは、ある種、「話し言葉をコントロールすること」を生業としている職業です。劇作家としてのデビュー作『日本人のへそ』は、まさに、吃音治療のためのサイコドラマにおいて、脱構築的で反転的な「笑い」が何度も繰り返される、という内容です。「強力な笑いによって言葉をコケにする」ことによって、吃音矯正を試みるという発想は、まさに講演で語られている内容そのものであると言えます。
小倉さんのナラティブについての感想のところで、男性的・近代的なジェンダー規範の存在を指摘しました。あとで紹介するスキャットマン・ジョンのように、吃音を持つ著名人の体験談を調べてみると、なんらかの依存症を抱えていた、という語りがいくつか見受けられます。例会当日、井上さんのDVについての指摘もありましたが、「支配」の問題と、依存症の問題は接続可能な問題でもあります。もちろん、井上さんのDVと吃音の経験を単純に結びつけることはできませんが、「恐怖の対象となるものを徹底的に支配することで、コンプレックスを解消しようとする」という発想や、「何かをコントロールすることによって、『どもってもいい』と思える境地にまで自分自身を持っていく」という発想は、それ自体一つの吃音との付き合い方ではあるとは思うのですが、僕には少し強引に感じられるところがありました。
また、井上さんは作家なので、『鵜』と『鷺』の話は、ある種、当事者向けに「こしらえたナラティブ」である可能性もあるような気がしました。また、そこで語られている内容についても、「全く参考にならないと思います」と語っているように、どこか「吃音に悩んでいる一般の当事者たちと自分は違う」というような思いの存在も、やや感じられました。「本人の中で、吃音は、大きな問題になっていなかった」と解釈することもできますが、吃音について率直に語ろうとしているというよりも、距離を置いて語っているようにも感じられました。
●村田喜代子さん(1945-)のナラティブについての話し合い
村田喜代子さんは、芥川賞作家の方です。言友会とのかかわりとしては、2001年の全国大会(千葉県)でゲスト講演を行っています。
当日は、『全言連ニュースNo.44-45』から講演録の一部を引用させていただきました。
どもって困ることはほとんどないんですが、口の中ではどもっていうことが多いんです。そうしますとしばらく黙るんですね。そうしましたらそれがとてもいいって言われます。(中略)だから、私はそうしたつもりはないんですけれど、「だんだんうまくなりますね」って言うから「どうしてですか」っていうと「なかなかうまいときにどもって合間をとったり口ごもったりとかだんだんいいところになりますね」って言うから、いいところではなくて本当にとまっているんですけれど、聞いている方はそうじゃないですね。そのときつくづく思ったのは、言葉っていうのは、こう黙っているとシーンとなるんですよね。ずーっと続けるときって、皆さん寝てしまうんですよね。この間がとてもいいような気がします。それから、こちらがウーッて言っているときも皆さんウーッて聞きますよね(笑い)。こっちに身を寄せてしまうんですよね。だからどもるってことは相手に身を寄せさせることだと私は思います。(中略)自分ではどもることに対してひけめを、学校を卒業して以来持っていないんですけれど、ああ、これって私の長所なんだ個性なんだってすごく感じるようになりました。どもるっていうのがインパクトがあり、また個性でもある
んですね。(中略)
ここ一番っていうときには絶対インパクトがあるとすごく思いましたね。自分の中では、どもる人間に対して一つの自分を中心にしたイメージができ上がっているわけなんです。すなわち、IQが高い、ナイーブである、控えめである、ちょっと神経質な感じ。男性だったらいい男、女性だったらちょっと硬派かなって感じがあります。(中略)
(作中の中で登場人物に吃音を持たせた意図について)自分で言うのもなんですけれど、ここだけはとてもうまくできましてね。(笑い)自然にうまくいきまして、やったぜと思いました。これがもし、普通の人にものを言わせてたらこんな値打ちのあることは言えないと思うんです、軽くなってしまって。だれかから聞いた話、どっかの本から引っ張ってきた話、そんなふうになってしまう。彼だから言える。だから、私は、つっかかる、それから、どもる、この言葉の膨らみ。すらすらっと話すアナウンサーみたいな人と一緒に並べたとき、私はこの、もぐもぐ、もぐもぐという、つっかかる、この言葉の響きというのを、口ごもりがちな、ためらうというか、それからいつも考えながらものを言う、この感じというのは非常に大切にしなければいけないことじゃないかと思うんです。
ラジオ深夜便という夜の番組だから、一番最初に「皆さん、こんばんは、村田喜代子です」って言わなければならないんです。「きょうは私の、小説を書き始めてからのことをいろいろお話しいたしましょう」って言えばいいんです。私一人になるんですよね、こっち。ガラスの向こうにズラーっと並んでね、「どうぞ」って感じで、さっとスイッチ入れたんですよね。そしたら、「・・・・・・」出ないんですよね。(中略)私は、吃音というのは、美しいなあと思ったんです。自分に感動したんです。彼、とってもいい人ですけど、後ろ姿を見せてタクシーで帰りました。そのとき思いましたね。向こうが悪いって。悪いのは向こうなんです。声を出させなくしたのは向こうなんですよね。つまり、やらせなんです。やらせだから声が出なかったんです。「皆さん、こんばんは」。昼に、そんなこと言えるわけないんですよ。人もいないのに、あたかも人がいるように。「今から私が芥川賞を取るまでのお話をいたします。実はですね、私は小さい時どうのこうの・・・」と、そんなばからしいこと、人がいないところで30分も話すというのは異常ですよ。その時思ったんですよね。そうなんだ、うそをついちゃいけないんだ。わざとらしい演技というのは、私たちにはだめなんだ。きっとそうだと思います。だから私、思いました。吃音というのは美しい障害なんだ。つまり、スピリッツなんだ、精神なんだと。こんなデリケートで、うそいつわりのない、これが言語障害であるならば、こんな美しい障害はないと思いました。ありがたいなあと思ったんですよ、私は。(中略)私がもしも、とってもどもって話ができないような状態になったときは、私が悪いんじゃない、向こうが悪いんだ。そう思います。
(『全言連ニュース No.44-45』より)
(当日の話し合われた内容の一部)
・たたかっているフィールドによるんじゃないか、という気がしました。いつでも、このような形で吃音を利用することはできない気がしました。(Cさん)
・「IQが高い」イメージなどについて共感することはできなかったです。ただ、吃音との付き合い方についてはよいと思いました。余裕を持って吃音と接しているという感じというか、吃音でいっぱいいっぱいになっていないようなスタンスに共感しました。自分もそういう風に俯瞰的に吃音と付き合えたらなと思いました。(Dさん)
・「ものは考えよう」みたいな話としてこの人のナラティブは聞くのがいいと思います。(Eさん)
・全国大会には参加をしていたけど、このときの全国大会は、演劇『どもピタ』だけ参加(出演)をして、講演は聞きに行けなかった。「ナイーブな人」みたいなラベリングはどうなのだろうかと思った。あと、難発で言葉が出ないときというのは、そんなに内容について考えられているわけではないと思うので、そこを「ごっちゃにされると困る」という感じもしました。(Fさん)
・「沈黙は金、雄弁は銀、吃音はブロンズ」との意味づけは、色んな人がしてきているが、村田喜代子さんも、そういう肯定的な意味付けの仕方をされていて、素敵だなと思いました(佐藤隆治さん)
以下は、いんこの感想です。
村田さんは、吃音を美的な形で肯定的に意味を再編し、自身の小説内でも、そのような形でどもる人を登場させています。
また、村田さんは、「言葉が出ないとき」は、「(自分をどもらせる)相手が悪い」という倫理的な価値反転を行うことで、当事者として苦しくならないように、しなやかに生きています。難発の症状が出ることについて、「どもらせる周囲の在り方」や「嘘を演じさせる社会的な関係性」に帰責をするという、柔軟な考え方をもって対処されているようです。
一方で、村田さんは吃音について「美しい障害」と言いながら、「嘘のある関係性における症状の出方」という点については吃音を肯定している一方で、「相手が『悪い』」としているところからも、難発が出ることそのものについては、肯定しているわけではないように読めます。村田さんが「美しさ」として肯定しているのは、表現性を伴う意味づけが可能な特定の吃音のあり方(おそらく連発)に限定されているように読めます。
しかし、美しくなく、一言発するのに何十秒も時間のかかる、ほとんど「絶句」に近い難発の方が、はるかに表現としてのインパクトがあるともいえるような気もします。そして、そうした「美しくない話し方(村田さんに限らず、多くの人達にとっても、実はそのように受け取られていないかもしれませんが)」の持つ表現性を聞き手が感じ取れるかどうかは、その人の他者や身体や言葉への感受性次第であり、そうした話し方に対して聞き手がどのような態度で臨むのかということの中に、その人の倫理性が問われるとも言えるのではないでしょうか。
また、村田さんは、作中で、象徴的な意味付けによって、吃音をある種「利用」してもいます。ネガティブなステレオタイプではありませんが、ある種のロマン化を伴うステレオタイプであり、吃音を「意味の増幅装置」として利用しているとも言えます。村田さんの作中でのどもる人の描かれ方は、「当事者による、肯定的な表象」ではありますが、特定の意味規範を再生産しているという点で、特定のステレオタイプを再生産しているようにも感じられました。
一人の当事者としての「吃音とのしなやかな付き合い方」という点では、村田さんの語りからは学べるところもある、と思う一方で、村田さんの「吃音の肯定の仕方」は、特定の美意識に即した肯定であるように僕には読めて、やや共感しにくかったです。
●重松清さん(1963-)のナラティブについての話し合い
重松清さんは、直木賞作家の方です。言友会とのつながりとしては、2006年の全国大会(東京高尾の森)でゲスト講演を行っています。
例会では、『全言連ニュースNo.75』に掲載されている講演録の一部を使わせていただきました。
もし神様がいて僕に、小説が人よりじょうずに書ける才能をなくすかわりに普通にしゃべらしてやるよと言ってくれたら、僕は今でもためらわずに普通にしゃべりたい(中略)
これは異論のある方もたくさんいらっしゃると思うのですが、僕は吃音は障害だと思っています。障害というのは、いわゆる身体障害とか肉体障害の障害という意味だけではなくて、自分の思いを伝えるとか、自分が生きていくときの一つのハードルにはなってると思うんですよ。障害物競走の意味の障害です。そのハードルがなければ、もっとすんなりもっと自由にできることはたくさんあったと思う。それでも、そのハードルを跳ぶ、乗り越える、あるいは下をくぐるでもいい、横からすっと逃げてもいい。そのハードルを僕は、いつもいつも正面からジャンプして跳び越えていったとは思いません。横から逃げたこともあるし、そっと倒していったこともあると思う。それでも、ぼくの人生の中にこのハードルがあるんだということが、すごく自分の人生とは何だろうとか、自分って何だろうとか、それから自分と自分の家族って何だろうとか、そういうものを考えるたくさんの機会を得たと思っています。(中略)
言葉を言うときって。何をしゃべるか、何を伝えるのか、だれに伝えるのか、そっちの方が大事なんだと言うことを、僕は滑らかにしゃべれなかったから実感できたと思っています。(中略)
僕は、「きよしこ」という小説の中で、本当に伝えたいものがあるんだったら伝わるよというメッセージを出しました。
本当は、それでは少し弱いなと自分でも思ってます。今、その続編を書こうと思ってて、それは、本当に伝えたいことを本当に伝えよう、一生懸命伝えたら伝わると言うふうにしないと、「みんなわかってくれるから」で終わっちゃう。どんなにどもってもどんなにつっかえても本当に伝えなきゃいけないことはしゃべろうと思うし、しゃべったら伝わるという、それは信じようと思う。(中略)
どうか皆さんも、伝えたい人が、本当に伝えたい相手、自分の思いを本当に伝えたい相手が一人でも二人でも、もっともっとたくさん増えればいいなと思います。
(『全言連ニュースNo.75』より)
(当日の話し合われた内容の一部)
・冒頭の「もしも神様がいて~」のくだりは、ちょっと嘘くさいように思いました。当事者へのある種の「受け狙い」で言っているような気がして「嘘つくなよ」って思ってしまいました。もっと等身大の言葉をぶつけてほしかったと思いました。「どもっても大丈夫」とは言えない現実が社会には存在して、そのバランスを僕自身は、どもる自分をみとめてくれる妻や母親との前でとっています。(Cさん)
・講演を聞いていたが、この人は、今でもかなり苦しがっている人だと思いました。(Eさん)
・共感できたかどうか、という点については、半々という感じでした。大人になっていくにつれて、完全に治るわけではないけれど、吃音が治まっていってしまう。「どもってたときのほうが聞いてもらえた」みたいなことも自分にはあります。「治したい」っていうところが、この人は作家として成功していても、「ないものねだり」から抜け切れていないようにも思いました。(Fさん)
・そのとおりだとおもった。(Hさん)
・「もし神様…ためらわずに普通にしゃべりたい」の言ですが、普通にしゃべれてたら、今のようなこころの痛みに寄り添い得る作家にはなり得ていなかった。普通にしゃべれなかったからこそ、言葉を言うときの、何を伝えるのか?等、人のコミュニケーションに関する深い洞察を元にしたもの・小説を書くことにつながったことを、話している。即ち自ら、前言撤回しています。アンビバレントな思いは併存するのだが、軸足を置いているのは、後者なのです。そんな風に、私は読み取りました。当日の講演会では、「今日はどれだけ、どもっても大丈夫な・心配の無い、唯一の講演会です」と冒頭で話して、バカ受けしていました。しかしその後、「実は、どもりが出ないよう、片方の手で、胸の脇を押さえる・調節するようなことを見えない様にしているんです」と、打ち明けるようにも話されていた(私は最前列でその講演を聴いていました)。そんな吃音恐怖な・安全運転をしたいという思いは、今もおありのようです。しかし、同時に、吃音だからこそ、書けるのだ・これからも書いていこうというしっかりとした思いは、意識下あるいは前意識下や無意識下にあるのでしょう。(佐藤隆治さん)
以下は、いんこの感想です。
講演中で次回作として言及されている『青い鳥』の作中では、「真剣に話された言葉は、真剣にきかなければならないのだ」という内容が描かれています。『きよしこ』での「本当に伝えたいものがあるなら伝わるよ、きっと」という「話し手の内容の問題」から、「聞き手の倫理や態度の問題」として、『青い鳥』では吃音の問題が語り直されているように読めます。この点で、言友会での講演時から『青い鳥』の執筆に至る中で、重松さんの吃音に関する思索に進展があったように思われます。
一方で、「吃音を持ちながら語る人のコミュニケーション」が、「真剣さ」「誠実さ」や「内容」の問題として語られているという点では連続性があります。「本当に伝えたいこと」の存在が、「障害を乗り越える」ことにつながるという、ある種、「内容」や「真剣さ」がコミュニケーションにおいて神聖化されているようなところが重松さんの語りには認められます。
こうしたコミュニケーション観やそこで想定されている表現は、ある種の理想化されたもの、美化されたもののように僕には感じられました。対話的で双方向的なつながりというよりも、一方的に自己の世界を他者にわからせようとするものでもあります。ある意味では、「小説家らしいな」とも感じました。
当事者活動を始める前は、重松さんが語っているようなある種の「理想化されたコミュニケーション観」のようなものが、吃音の体験と結びつけられて僕の中にも存在していたような気もします。一方で、当事者活動をある程度経た現在の僕としては、むしろ、「等身大の自分自身を語れるようになったこと」「対話的に、仲間と吃音について素直にたくさん語りあったこと」の方が、大きなことであった気がします。そのため、こうしたコミュニケーション観については、現在の僕はあまり共感できないところがあります。
実際には、吃音を持っているからと言って、いつも「内容のある話」が出来るとも限りません。今でも僕は、「とりあえずその場をつなぐ」ための雑談が苦手なために苦労することや、周りの人たちが楽しそうに交わしている雑談にひとりだけ参加できず「この場から消えたい」と感じて自己否定してしまったりすることもあります(必ずしも吃音によってではありませんが)。「どもりながら話すことが、相手をはっとさせる」ことはあるにしても、「どもりながら話した言葉は、伝わるはずだ」という考え方は、どこか現実的ではないという感じもしました。
また、重松さんは「吃音は障害だと思う」、また、「ハードルという意味での障害」と書いています。
ここでの障害の概念は、「人生における困難」に近く、その意味で、克服の物語ではないものの、小倉さんの吃音観とも通じるところがある気がします。
さらに重松さんは、「作家として成功した経歴を捨ててでも、神様がなおしてくれるなら今でもためらわずに普通にしゃべりたい」とも語っています。これは、Cさんの言うように、当事者団体という場を意識した自己呈示的な語りであった可能性もありますが、文字通りに解釈するなら、重松さんは、「吃音を持つ自身の身体そのものの肯定」は行っていません。重松さんが「吃音でよかったこと」として語るのは、「自身の言葉や家族への思索を深めた」という点においてであって、吃音そのものよりも、吃音を契機に深めた「思索」の体験の方であると言えます。羽仁進さんが、フランクルを引用しながら「苦悩が人に成長をもたらす」として吃音を肯定しているのに対して、重松さんは、苦悩は拒否しつつ、成長の方のみを肯定している、と言ってもよいかもしれません。
どちらかというと、僕は羽仁進さんの考え方の方が好きです。
以上のような理由から、現在の僕は、重松さんの語りについてどちらかというと共感しがたいところがありました。
●ジョン・ラーキンさん(1942-1999)のナラティブについての話し合い
ジョン・ラーキンさんは、歌手として活躍された人です。言友会とのかかわりとしては、来日時に、東京言友会のメンバーらとホテルで対談を行っています。また、1996年の全国大会でゲスト講演(ビデオメッセージ)を行っています。
当日、ご紹介したのは、『全言連ニュース No.9』に掲載されていたインタビューでした。
私は、なるべく自分が吃音者であること、それを受容したときにそこから解放されたことを言ってきました。吃音者は吃音が別に心理的、生理的に異常ではないことを広く世間に知らしめて行かねばならないと思っていますから。吃音はこれまで私にとってもっとも大きな問題でした。ですが今は、強さ、謙遜さの源となっています。私は吃音者であることによって、より人間的になれるのではないかと思います。(中略)
1991年頃、はじめてNSPのミーティングに参加しました。吃音の他に私はかつてアルコールや薬物の問題を抱えていましたが、自分がアルコールに依存していることを認めることによって、そこから回復できたと思います。それは1987年のことでした。しかし自分が吃音者であることを認めるにはもう少し時間がかかりました。NSPのミーティングに参加して初めて自分が吃音者であることを認めることができるようになっていきました。たぶん、吃音に関して最も重要なことは、これは私が達成しようとしてきたことですが、吃らないようにという努力をやめること、そして吃音を恥ずかしく思うことをやめることではないでしょうか。これが大変なことであるのは皆さんもお分かりだと思います。私がいつも自分に言い聞かせているのは、すべてのことには何らかの意味がある、たとえそれが困難な問題であっても、ということです。NSPに参加するようになって、自分は吃音者という大きな仲間の輪の中にいるのだ、と感じました。そうした中で、幼少時代から、そして成人してからも私を苦しめてきたどもりからだんだんと解放されていくことを感じるようになったのです。
Everbody stutters one way or other,so chsck out my message to you. As a matter of fact don't let nothing hold you back.If the Scatman can doit,so can you.(いずれにしろみんな吃るんだ。僕のメッセージをよく聞いてくれよ。実際どんなことがあってもあきらめたりしちゃいけない。スキャットマンができるなら君にだってできるさ)
この歌の中で私が言いたかったのは、誰でも「吃る」んだ、ということです。それはいろんなところに現れる。私たちみたいに言葉で吃る人もいれば、それが行動に現れる人もいるだろうし、性格がそうかもしれない。つまりみんな問題を抱えている、みんな何かしらの悩みを持っている。そしてそのような悩みや問題を新たな強さの源にすることができるのではないか。悩みの中に埋没してしまったり、それを恥とすることもできるけれども、そのような問題を乗り越えることによって、それをポジティブなものに変えていくことができる。「スキャットマン」にこめられているメッセージとはそういうことです。(中略)
スキャットというのは、解放された吃音である、と私は考えています。だから私達が吃っているとき、それはスキャットしていると考えてもいいんですよ。(中略)とはいえ、私もまだ完全に吃音が恥ずかしくなくなった、とはいえません。自分の中では、やはり時々吃ることを恥ずかしく思う気持ちがあります。(中略)でも、そのような恥ずかしい気持ちを乗り越えるべきだと思っているし、それがまた自分を成長させると言うことはよくわかっています。
そしてもう一つ大事なことは、流暢にしゃべれる自分、そのような経験を大事にし過ぎないと言うことです。(中略)吃らない自分だけが本来の自分だと思っていたら、今度は吃ったとき、より恥ずかしい気持ちを抱くことになるでしょう。アメリカではこういうことをtreasuring fluency(流暢さにこだわること)と読んでいます。(中略)
時々、自分で知らない内にテクニック的なことを使うこともありますし、テレビなどで無理をして流暢にしゃべること(forced fluency)もあります。それは、うわーっと一気にしゃべってしまうようなことですね。(中略)でもいつも出来るわけではありません、こんなことをしてたら疲れてしまうしね。
(『全言連ニュースNo.9』より)
(当日の話し合われた内容の一部)
・ジョンさんは、環境が良かったのだとおもう。他の人に当てはまるのか疑問に思った。(Aさん)
・「流暢に喋れる経験を大事にし過ぎないことが大事」という視点は自分にはなかったので、参考になった。(Bさん)
・おそらく背景には、アメリカの吃音観があるように思いました。アメリカの人たちの考え方には、根底に宗教があって、自己肯定感をあげることが大事とされていて、だから、ジョンさんのナラティブは、アメリカの社会の中では受けられやすい気がしました。(Cさん)
・吃音を持つ人が依存症になるのはよくある話。アメリカ社会の中での吃音の位置づけは、ADA法でだいぶ変わったように思います。(Eさん)
・一番最後の部分「流暢に喋れる経験を大事にし過ぎないことが大事」は共感しました。自分は5歳の時にどもり始めて、それまではスラスラと話していたから、そのことにこだわっていた時期があったので。一方で、共感できなかったのは「自分にできることは誰でもできる」みたいな言い方をわりとすると思うのですけど、そんなに軽々しく言うのがどうかなとおもいました。(Fさん)
・ちょっとよくわからなかったです。(Hさん)
・この人は、落ちるところまで落ちた、どん底まで行った人。吃音不安の2次障害として、アルコール依存症、そして薬物依存症にまで。そしてその回復は、薬物依存・アルコール依存の順で、まず二つは主にセルフグループの中で解決できた。最後に残ったのが吃音問題だ。たまたまヒットした新曲が、レコード会社に見出されて、CD作成を持ちかけられた。「もしこれが、ヒットして自分がTVでインタビュー受けるようなことになると、どうしたら良いだろう!」と奥さんのジュディに相談。「あなたが次に出す曲の歌詞に、あなたがどもるという事を、いっそのこと書いてやったらいい」。ジュディあってこそのジョン。尻叩かれてようやくカミングアウトできた。(佐藤隆治さん)
以下は、いんこの感想です。
ジョンさんのナラティブは、吃音の自助グループにおける「受容の物語」のかなり典型的な内容と言えると思います。
他のことに熱中したり、吃音そのものを忘れていくなどして「徐々に吃音が治まっていった」「いつのまにか気にならなくなった」というようなナラティブではなくて、ジョンさんは、吃音と向き合い、吃音を公表し、自分自身のアイデンティティの一つとして位置づけることで吃音の苦悩から解放されていきます。
多くの著名人は、ゲストとして自身の体験を当事者団体で語ることはあっても、自助グループ的な時間を共有していた人や、その体験を語る人は少ないです。ジョンは、当事者運動(自助グループ)の中で重視されてきた「受容の体験」を公的に語る珍しい著名人であったと言えると思います。もしかしたら、「自助グループの内部論理を、公的言語に翻訳した最初の著名人」であったとも言えるかもしれません。
当日、アメリカ社会の中でのジョンさんのナラティブへの解釈のされ方、ということが話し合われたのが印象的でした。積極的に人前で自分の意見が述べられると言うことが大きな価値とされるアメリカの社会では、「自分の考えをはっきりとしゃべれないこと」は、もしかしたら、日本社会以上に排除されてしまうことなのかもしれない、と思いました。Cさんは、ジョンさんの考えについて「アメリカ社会では受け入れやすい考え」と言っていましたが、ある意味では、日本社会以上に、アメリカでは「吃音をもっていてもよいと思えること」は、大変なことのようにも思います。
また、ジョンさんはある種の「底つき体験」をしています。薬物依存症やアルコール依存症になるほどの、ここまでの「底つき体験」を僕自身は経験したことがないので、ジョンさんの体験したことが主観的にどのような経験だったのか、少しつかみにくいようなところもありました。そのような理由から、ジョンさんについては、「いいな」と思いつつ、「どういうことだったのか、もっと詳しく知りたいな」というのが、僕の正直な感想です。
③全体感想
(当日出された感想の一部)
・楽しかったです。自分の中でしか吃音について考えてこなかったから、こんな風な形で吃音について話せてよかったです。自分自身の体験じゃなくて、著名人の体験だからこそ話しやすかったです。(Cさん)
・刺激的なテーマで面白かった。(Dさん)
・こんな風に、いろいろな著名人の体験談をまとまって丁寧に読み取ったり話し合ったことはなかったので面白かったです。(Eさん)
・時間が足りず、もう少し話し合えたらなと思うトピックがありました。あと、佐藤隆治さんと久しぶりに会えてよかったです。(Fさん)
・紹介できなかった人もいるから、ぜひ、第2弾もやってほしい。(佐藤隆治さん)
・人によってそれぞれ違うんだなぁと改めて思いました。(Hさん)
主宰したいんことしては、例会の準備をする中で、あらためて読み直した体験談も多く、今回の例会は、僕自身がかなり勉強になりました。個人的には、田辺一鶴さん、羽仁進さん(当日は紹介できませんでしたが)のお二人の体験談が、共感しやすかったです。
また、吃音への意味づけや問題経験への対処の仕方、また、経験への引き受け方などが人それぞれだと改めて思いました。どもることの持つ表現性について意味づけをしている人もいれば、言語症状に意味づけすることには距離を置き、もっと吃音を持ちながら生きるという「内的な体験」について意味づけをしている人もいました。さらに、そのような意味づけには距離を取り、ただ丁寧に生きることを大切にする人もました。また、吃音と闘った人もいれば、あまり大きな問題として位置づけていなかったように感じられる人もいました。吃音と向き合ったことによって問題から解放された人もいれば、単純に忘れていった、という人もいました。公的な場面でどもりながら活動した人もいれば、公的な場面ではどもらず、家ではどもっていたという人もいました。意味の見出し方も、吃音の体験についての引き受け方も、それぞれで、三者三様だと感じました。「受容できるか、受容できないか」というような単純な二分法的な言葉ではくくりきることのできない、吃音との多様な付き合い方や意味づけの豊かさを改めて確認できたような気がします。
当日は、紹介した著名人の人達と実際に会ったり、やりとりをしたことがあるという人もいて、貴重なお話しもたくさん聞くことができました。
例会(当事者研究会)の運営の在り方についての発見としては、Cさんから出された感想の「自分自身の体験じゃなくて、著名人の体験だからこそ話しやすかった」というところがありました。前回の「モデル研究会」にも通じるところがありますが、今回の例会は、「当事者研究会の方法論」としても、発見のある内容でした。
主宰した僕自身にとっても、学びや気づきの多い例会でした。参加された皆さん、ありがとうございました。


















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